2010年05月25日

優しく、あたたかく、おもてなし3

和歌山 美容室 ZEAL AFFECTION 

熊本で感じたことその3



熊本の人は

優しく、あたたかく、おもてなしの心に満ちている。

次のエピソードは二次会の後の出来事。


今回、私達は懇親会の後、

和歌山のメンバーだけで居酒屋で二次会を行なった。

このお店は仲間の熊本の親類がよく行くお店で、

美味しいと聞き段取りしてくれた。


しかし、場所は地元の人ご用達だけに、

少し路地を入ったお店で、

段取りしてくれた仲間は、

もう1つ二次会が入っていたので先に退席し、

二次会を終えた後、

私達だけでホテルに向かう事になった。


しかし、来る時は後ろをついて歩いて来たので

道をハッキリ覚えていない。


そこにたまたま、今回利用した居酒屋の前の

韓国焼肉店の女性店員さんが

閉店の準備で看板の消燈に出てきたので道を尋ねた。


そうすると、地図を見ながら説明してくれて、

私は一応解ったので、

「解ったわ!ありがとう♪」

と伝え、行こうとしたのですが、

その女性店員さんは

「アーケードの所まで送って行きます」

と言って、私達をわざわざ少し離れた解りやすい所まで

送ってくれたのである。


通常、自分のお店に来たお客様を

お送りするのなら当たり前。


しかし、先ほども書いたように

この女性店員さんは、

今回利用したお店の前のお店の方。


しかも、自分のお店の閉店の後片付け中。


この対応にもまたまた感動してしまったのである!


以上が、今回有った3つのエピソードであるが、

タイトル通り、本当に熊本の方はどの方も

優しく、あたたかく、おもてなしの心に満ちている


今回、最終的に熊本から帰る時に感じたのは、

この熊本の方に触れた事が

一番の気付きや学びだったということ。


帰りのバスで行動は別であった

大阪で居酒屋をしてる経営者の方も

「うちの接客全然負けてるわ!

熊本はすごい!!」


と話していたが、やはり同じように感じたようだ。


我社でも、仕事の外での振舞いも

ZEALの一員であると自覚すること。

要は、自分の振る舞いがZEALのイメージになる。

よって、自分がZEALの代表だと

自覚することの大切さを教えている。


しかし、これは何処の会社も同じであろうが、

今回私が感じたのは、

熊本の方は、自分が熊本の代表だということを

無意識に自覚しているのだと思った。


この根本は熊本県への「愛」であり、

熊本を全員が良くしようと無意識に

思っているのだろうと非常に感じた。


今回は具体的な学びより、

熊本でのこの

おもてなしの学び

その根本に有る「愛」の学びが

大きかったように感じますね。

  


Posted by ZEAL at 15:00雑感

2010年05月25日

良き仲間

和歌山 美容室 ZEAL AFFECTION 

今朝、共に学ぶ仲間がわざわざ文字を起こして

送ってくれた感動した本の内容です。

私も、この本を読んだことが有りますが、

この方が素晴らしいのは、

感じたことや、学んだ事を何時も

仲間と共有しようとしてくれること

良き仲間に恵まれ、本当に有り難いですface01


私も小学校の時に出会わせて頂いた、

私に初めて光をあててくれた先生のお陰で

人生が大きく変わっただけに、

この文章は感動したのを覚えています。


皆さんもご一読あれ♪




★「縁を生かす」
…………………………
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は
少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。
「朗(ほが)らかで、友達が好きで、人にも親切。
 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、
 時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親が病気で悪くなり、疲れていて、
 教室で居眠りする」

三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。


だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
 あなたも勉強していかない?
 わからないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、
少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。


あとで開けてみると、香水の瓶(びん)だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋(うず)めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!
 きょうはすてきなクリスマスだ」
 
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
 そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。


「明日は高校の卒業式です。
 僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって
 医学部に進学することができます」


十年を経て、またカードがきた。


そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みがわかる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。


「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を
 救ってくださった先生を、神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって
 最高の先生は、
 五年生の時に担当してくださった先生です」


そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。


「母の席に座ってください」


と一行、書き添えられていた。


  


Posted by ZEAL at 13:04雑感